介護離職にストップをかける樋口恵子さん。
介護に悩む人を救うために、執筆や講演活動を続けながら
介護離職防止キャンペーンイベント開催に向けて今日も走る。
取材・文/富田 チヤコ 写真/吉住 佳都子
自分の問題だった介護離職。
相談力で介護離職ゼロへ
親や家族の介護のために仕事を辞める、介護離職。2015年に安倍首相が語った「新3本の矢」でも、「2020年代初めまでに介護離職ゼロ」を堂々と掲げてきた。だが総務省の調査によると、介護離職をする人は年間で9万9100人。その人数は減少することなく、むしろ深刻な状況が今なお継続している(※グラフ1)。
「仕事を続けるべきか、辞めて介護に専念すべきか」ーーーーーーーー長年にわたって女性問題や高齢者の介護問題に取り組んできた樋口さんご自身も、母親の介護が必要だった40代後半に、この問題に直面した一人だ。
「母は腎臓の病気に加えて精神状態も不安定だったので、入院させるしか方法がなくてね。夫も早く亡くなり、中学生の娘と母子家庭だったので、私がやるしかない。まだ介護保険のない時代で、病院も少なく、でもいろんな人が助けてくれたから乗り切れた。仕事をいつ辞めようか、私だってあの時は何度も考えました」
介護離職の中でも、特に働き盛りの中年男女の離職は、企業にとっても国にとってもマイナス面が大きいという。樋口さんは「介護離職4つの大罪」として、「キャリアの中断による厳しい再就職事情、人材開発費の損失、税収減少による財政への影響、家計の収入減による次世代への影響」を挙げている。
とはいえ、今まさに介護に直面している人の中には、先の見えない不安を誰にも話せずにいる人も多い。このような現状があるからこそ、樋口さんは、〈ながら〉介護と〈トモニ〉介護という介護のスタイルを提唱しているのだ。介護を1人で抱え込まず、仕事をし〈ながら〉、企業や自治体も加わって〈トモニ〉介護することを提唱。実行するためのヒントが、著書「その介護離職、おまちなさい」には数多く示されている。
「介護と仕事の両立に悩み、仕事を辞めようか考えている時は、まずそのことを誰かに相談してほしい。問題解決のカギとなるのは、ご自身の『相談力』です。職場にも相談窓口のあるところが増えました。地域にも、地域包括支援センター、家族会、認知症カフェなど、身近に相談できる場所がたくさんあります。ケアマネジャーやヘルパーなど専門職の皆さんには相談を受けたら、とにかく『仕事は辞めるな!』と、まず踏みとどまらせてあげて欲しいですね」
介護離職4つの大罪
①介護離職は本人の中年以降の未来を失わせます。職業の中断により再就職、特に正規職員としての就労は困難となり、年金や昇進による収入などを失い、未来の生活設計が台無しになります。
②日本の企業は社員の能力向上に大きな研修費を使っています。企業にとっても経験豊かなベテラン社員の退職は大きな損失です。
③介護離職により毎年約10万人の中堅社員が正規の職を失います。 所得税、社会保険料の最も負担能力の高い中堅雇用労働者を失うことは、国の財政、各種社会保険の財政に悪影響を与えます。
④中年世代の介護離職は、その下の世代にも影響を与えます。家計が 困難になり、孫世代が進学をあきらめたり、就職の機会を逸したりします。そのように若い世代に連鎖しかねません。祖父母世代を介護するヤングケアラーへの配慮も必要です。
グラフ2 男女、雇用形態、介護日数別介護をしている雇用者の割合 出典:総務省「2017年就業構造基本調査結果の概要」
「介護は昔からあった」のウソ
介護保険制度ができる前から、女性問題について全国各地を講演していた樋口さん。講演のために地方へ行くと、教員・公務員として活躍してきた女性たちが親、特に義父母の介護のために泣く泣く離職するたくさんの事例や、まれには介護の苦悩を誰にも相談できずに自殺に追い込まれる事例を見てきたという。
背景にあったのは、家族を「福祉における含み資産」として活用しようと考える当時の国の方針だ。
「国は高齢者の介護、という機能を、家庭にいる女性、嫁に背負わせて、乗り切れると思っていたようです。当時の「厚生白書」*1にもこのことが書かれていることを知った時、私の疑問は大きくふくらみました」
日本の高齢者は、配偶者以外との同居率が欧米先進国よりはるかに高い。特に戦前の民法では、結婚は「夫の家に入ること」であり、大多数は夫の親と嫁が同居をすることや、嫁は実の親よりも夫の家の親を大切にすることを求められた。もちろん嫁は、自分の仕事も趣味も投げ打ったことは、言うまでもない。「だから北欧のようなヘルパーに予算を使わなくていい」というのが、「福祉における含み資産」の根底にあった。
だが、この考え方には2つの誤算がある。1つは、介護の重さも期間も内容も、一世代前の人生50 年時代とはまるで異なることだ。かつての日本の高齢者は嫁の世話を受けたが、それはごく短い期間が多く、高齢者も短命なら嫁もまた若い。だが最近の調査によると、介護する人とされる人それぞれが60 歳以上になる「老老介護」が60 %となり、介護期間も5年10 年と長期にわたる例が少なくない。
ちなみに「介護」という言葉がこんなに日常的に使われるようになったのは、1990年代に介護保険制度創設が国民的話題になってからのこと。
「『介護は昔から嫁がやってきた』と介護保険制度創設時は反対派からよくそう言われたけど、介護は昔からあったわけじゃない。急激に長寿社会が到来して、長期間にわたって他者の支えを必要とする人が増えたからよ」と話す樋口さん。それまでは介護のことを「お世話する」「看病する」「看取る」などと呼んでいたように、かつては「お世話」程度だったものが重厚長大化することで介護となり、家庭という枠を超えて社会的課題になった経緯がある。
また21世紀が「介護の世紀」とも言われるのは、長寿は平和と豊かさから生まれたものであり、その副産物が介護であるためだ。「それなら私たちは、介護をどのように受け入れ、分かち合うのか。こうした時代からの宿題を受け止めて答えることが、人間の証明」というのが、介護問題に向き合う樋口さんの考えだ。
もう1つの重大な誤算は、「嫁が介護すればよい」と言われた嫁が「絶滅危惧種化」してきたことだろう。介護保険制度発足以来20 年足らずの間でも、「主たる家族介護者」の続柄は激変してきた。
まず、介護の男性化。介護保険発足当時は、家族介護者のうち17%だった男性が、2015年には30%を超え、今や3人に1人以上が男性介護者になった。そして血縁化だ。かつては妻、嫁という非血縁の介護者が多かったが、今は息子、娘という「子」が嫁を上回るようになり、嫁による介護は年々減るばかりだ。とはいえ嫁が親世代の介護をしていないわけではない。「娘」として親世代を介護しているのだ。
これらの背景にあるのが、少子化だ。昔の嫁にはきょうだいが多くいたため、実家の介護はどこか別の家から嫁が来ることで成立していた。それが短い期間で出生率が2人を切るようになり、誰もが実家の親に一定の責任を持たざるを得なくなった。
介護離職をなくすために
人口構成の変化が、世の中を左右してきた。だが、変化に対応して世の中も変わる。そして気がついた人が声を上げれば、変化のスピードはさらに早まると、樋口さんは考えている。
「介護離職のない社会をめざす会」は、2016年、14 のさまざまな団体でスタートした。4人の代表メンバーには、髙木剛さん(連合元会長、全労済協会前理事長)、逢見直人さん(連合会長代行)、牧野史子さん(NPO法人介護者サポートネットワークセンター・アラジン理事長)、そして樋口さんがいる。その他にもメンバーには介護者支援の市民団体、介護事業の経営者団体、働く人の労働組合など、時には利害が対立する団体が「介護離職をなくす」という1点で一致団結しているのが特徴だ。
2017年に育児・介護休業法が改正されると、これまで「育児」にやや立ち遅れていた「介護」対策に、「短時間勤務」が盛り込まれるなど、きめ細かな制度の改善がみられた。
こうした法改正を受け、社員の家族介護に対して理解を示す企業も増えてきた。ある大手化学メーカーの社内調査では、2023年には社員5人に1人が家族介護を担うことがわかった。それ以降は「わが社の介護支援は育児と並び、福利厚生ではなく会社全体の経営戦略だ」と、社内全体の意識が変化した。また大手損保会社では「男性も何かしら家族の問題を抱えながら働く時代」として、男女社員を対象にした「仕事と介護の両立セミナー」を実施した。参加した中堅の男性社員は、「子供が小さいのに両親が弱ってきて、妻に『育児も介護も、両方はできない』と言われて介護離職という言葉が胸をかすめたが、会社の方針に勇気づけられた」と話していたという。とはいえ、まだまだこうした会社は少数派だ。
だからこそ、「介護現場で働く人、家族として支える人、すべての介護者の人生が尊重され、自分自身の志を全うできることを願って、私たちは来年2月6日にイベントを行います」と決意した樋口さん。介護離職ゼロというビジョンと樋口さんのパッションが、人と時代を動かし続ける。
『その介護離職、おまちなさい』
(樋口恵子著/潮出版社)
人生100年・大介護時代を「ながら介護」「トモニ介護」で豊かに生きる。地域包括ケアにも通じる知恵とヒントが満載の現代人必読本
介護離職防止キャンペーンイベント
〜その介護離職、おまちなさい〜
2019年2月6日(水)
11:00〜20:00
場所:東京国際フォーラム ロビーギャラリー
主催:介護離職のない社会をめざす会
仕事と介護の両立に不安やお悩みをお持ちの家族介護者、介護従事者、働きやすい職場づくりに取り組む介護事業所、経営者、人事労務担当者を対象に開催。相談コーナー、企業協賛ブース、ステージイベントを通じて、介護の不安を解消するための情報提供やアドバイスを実施。介護離職のない社会をめざすキャンペーンイベントです。
イベントのお問い合わせ、
協賛のお申し込みは下記まで
株式会社リライズ ヘルスケアコミュニケーションラボ
TEL:03-5846-8418
E-mail:attention@re-rise.jp
*1 「こうした点からみて、同居という、我が国のいわば『福祉における 含み資産』とも言うべき制度を生かすに際しては、少なくとも同居す ることが大きな経済 上の負担を意味することのないよう、老人に対 する所得保障を充実すると共に 同居を可能にする住宅等の諸条件
を整えることが必要である」(1978年「厚生白書」総論 むすび 4 高齢者社会における社会保障(3)家庭生活より)
樋口 恵子氏
ひぐちけいこ
1932年東京都生まれ。時事通信社、学研、キヤノンを経て評論活動を行う。東京家政大学名誉教授・女性未来研究所所長、NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長、「介護離職のない社会をめざす会」共同代表、厚労省社会保障審議会委員などを歴任する。読売新聞「人生案内」回答者。著書「その介護離職、おまちなさい」「大介護時代を生きる」他多数。