「地域の人が使う場所」へ
地域の人が使う場所
「まるごとケアの家」というコンセプトと名称が生まれたのは、2016年10月29日、30日に開催された「ものがたり合宿2016」*3でのことである。合宿初日の深夜、あるコテージで、そこに集まる”おやじ“たちの部屋飲みでの会話がきっかけとなった。
今回訪問した「まるごとケアの家いわみざわ」を運営する「医療法人社団ささえる医療研究所(愛称: ささえるさん) 」の理事長(現在)で、「ささえるクリニック岩見沢(以下:クリニック)」院長の永森克志さんは、『まるごとケアの家と半農半介護』(高橋和人著:ものがたり出版)の冒頭でこう述べている。
「『医療・看護・介護・その他の社会資源を、制度の枠組みにとらわれず複合的に組み合わせ、地域で援助を必要とする者に対して日常生活の包括的なケアを適切に提供する事業の総称』を『まるごとケアの家』とするコンセプトが誕生したのだ」
このコンセプトのもと、4月3日、岩見沢市志文町に「まるごとケアの家いわみざわ」がオープンした。クリニックから数十メートルの場所にあり、空き家だった建物を活用している。そこは、訪問看護ステーションと訪問介護・居宅介護支援事業所が同居する「地域の保健室」である。誰でもふらりと立ち寄ることができ、曜日によっては看護や介護、医療の相談ができる「ケアタイム」という時間を設けている。そこには、看護師や介護士、ケアマネージャー等がいるので専門的な相談にも適切に対応することができるのだ。
また、「ささえるさん」の”事務っ娘“と呼ばれる事務職の女性の中には、フィットネスクラブの元インストラクターがいて、「体操教室」も開かれる。近所の子供が集まったり、地域の人がお茶を飲みに立ち寄ったりする交流の場ともなる。時には看取りの経験のある地域の人を囲んで話を聞く機会もある。一方で、スタッフ同士の勉強会や有志の先生を招いてのミニ講演会が行われることもある。ここは、そんなコミュニティスペースなのだ。
こうした状況を永森さんは「余白」という言葉で表現する。「訪問看護ステーションに『余白』をつけると、こんなコミュニティスペースになって、そこには子供が寝転がっていてね(実際に子供がスタッフに相手をしてもらいながら過ごしていた)」。「余白」だからこそなんでもありだと。
「建物の前に『訪問看護ステーション』という看板を掲げると、そこは訪問看護の『相談室』になってしまうし、訪問看護ステーションの『体操教室』になってしまいますよね。ここはちょっと違うんですよね。訪問看護もある、訪問介護もある、そばにはクリニックもある。でも、ここはここで独立していてみんなが使う場。だからミラーボールもあるんです(笑)」。ここではスタッフや地域の人の宴会も開かれるようだ。先ほどから奥の部屋で遊んでいる小さな子は、ここの訪問看護師の子供である。「おかげで子供の世話のために仕事を休むということがなく、安心して仕事ができます。ここで誰かが子供を見ていてくれるので」と言う。「ここのスタッフも地域の人だから、同じようにみんなで利用しているのです。子供がその子の友達と一緒に遊んでいることもありますよ」と永森さん。
この「家」で話を聞いているうちに、私は何かとんでもない思いちがいをしていたのではあるまいかと考えるようになった。ここは、地域住民のために”提供された“スペースであるという先入観を持っていた。ここは、法人が提供するサービスの一種であり、地域の人たちにとっては与えられたものであると。それはどうやら大きな間違いだったようだ。
『まるごとケアの家』とは?
- 【定義】
- 医療・看護・介護・その他の社会資源を、制度の枠組みにとらわれず複合的に組
み合わせ、地域で援助を必要とする者に対して日常生活の包括的なケアを適切に
提供する事業の総称 - 【 解説版定義】
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- ① この地域に必要なケアを、制度にとらわれず提供します
- ② 必要に応じ、さまざまなケアを組み合わせて提供します
- ③ その人の毎日の生活を“当たり前”の感覚で支えます
- ④ この地域で安心して生きるための“共同体の場”です
- ⑤ 「この地域の住民が“自分たち”で地域を守る」ことを支えます
- ⑥ 地域が必要なケアを、年齢・特性にとらわれることなく、持続可能な方法で提供していくことをめざします